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漢字のシーラカンス


漢字は 3500 年以上の歴史を持つ、現存する最古の文字体系である。中国の四川省や雲南省などに住む人が使う彝文字も同じくらい古い可能性があり、両文字は何らかの関係があると主張する学者もいるが、現在彝文字は規範彝文きはんいぶんと呼ばれる音節文字に変わっており、本来の表意文字の体系を失っている。従って漢字が最古であることに違いはない。

諸橋轍次が編纂した大漢和辞典は、日本が誇る漢語研究の金字塔であり、収録する漢字数は五万を超える。現在使われる漢字は大体同じようなかくを持っており、縦棒、横棒、はね、はらいなど、共通の画を組み合わせて漢字を構成するが、大漢和辞典にある五万の漢字のごく一部は、見慣れない不思議な画を持っている。このような漢字のほとんどは、まだ画が固定化していない頃の非常に古い漢字が字典の中に生き延びたものである。いわば漢字のシーラカンスだ。これら生きた化石の中で、最も珍妙に見える漢字は何か、探ってみよう。

以下は、他では使われない奇妙な画を含む漢字の一覧である。なおコンピュータでの利便性を考えて、各文字の今昔文字鏡の番号を示した。これは大漢和辞典の漢字の通し番号と同じである。

漢字今昔文字鏡説明
000038「丑」の異体字。「丶」ではなく「・」を持つ漢字はこの表にある三字しかない。
000078音:カイ。上部の点の配置が珍しい。
000117「也」の古字。「ん」に似た部品を持つ唯一の漢字。
000229音:チョウ。上下逆さの字というのは現代人の想像を絶する。「了」を逆さにするとこうなる。
000234「幻」の本字。同じく「予」の逆さ文字になっている。
000277「斉」の古字。上部の楕円のような部品を持つ唯一の漢字。
001603「煙」の本字。「井」を斜めにした部品はこの字と次の字にしか使われない。
001604」の本字。
001834「曲」の本字。「凹」に斜め線が入ったような部品は「凵」と同じだが、この漢字にしか使われない。
004695音:ソウ。対角線を持つ唯一の漢字。
008717「巨」の古字。「S」を左右反転したような部品を持つ唯一の漢字。
009220「孳」の古字。獣偏けものへんを左右反転させた部品を持つ唯一の漢字。
009821「為」の古字。「弱」の半分を反転させたような部品を持つ唯一の漢字。
030274「塵」の古字。「」という部品が三個もあるが、この漢字にしか含まれない。
041103「長」の古字。「V」に似た部品を持つ唯一の漢字。
042586「卯」の古字。三角形を含む唯一の漢字。
048915「陰」の古字。下部のくねくねは雲を表し、「云」と同じである。この部品もまたこの漢字にしか含まれない。
048955「虎」の古字。下部中央の一回転ジェットコースターのような部品はこの漢字にだけ現れる。
048977「串」に似ているが、「玄」の古字。
049023「堅」の古字。二回転とは何とも異常である。
049049「青」の古字。
049275「恋」の古字。丸を含むのはこの漢字しかない。
049580「葵」の本字。海賊旗の骨のような部品はこの漢字にしか使われない。


以下は異常な部品を持つにも関わらず、他の漢字の部品としても使われる漢字である。そのため漢字数の観点では上記の漢字ほど珍しい存在ではない。

漢字今昔文字鏡説明
000162音:イツ。意味はツバメ。これで一画であり、明らかに「乙」の変形である。これを部品として含む漢字には「」(文字鏡 046635)があるが、これは「」の異体字である。
002635「匚」の古字。これを部品として含む漢字は次の通りである。
(文字鏡 002663)、(文字鏡 002668)、(文字鏡 002669)、(文字鏡 002671
011673」の古字。「或」とその上下逆さの部品を組み合わせてあり、全く尋常でない。これを部品として含む漢字は次の通りである。
(文字鏡 013435)、(文字鏡 018836)、(文字鏡 019591)、(文字鏡 035194)、(文字鏡 049265
039270音:エン。「邑」と左右対称になっている。これを部品として含む漢字は次の通りである。
(文字鏡 039702)、(文字鏡 049774)、(文字鏡 049782


以上の漢字の中で、ひときわ異常さが目立つのはやはり逆向きの漢字である。中でも「」は、通常の向きと逆向きとが混在しているのが不思議である。書くのも難しい。この漢字が現代人にとって最も奇妙に見えると言えるだろう。


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