思索の遊び場 > 高杉親知の日本語内省記 > 英語力アップ

英語力アップ


ある日本語随筆の英訳本の惹句じゃっくに「あなたの英語力アップにぴったり」とあった。別のところでは「英検チャレンジで英語力アップ」と書いてあるのを見かけた。内容がどうあれ、「英語力アップ」と書く人から英語を学びたいとは思わない。

最近やたらと「アップ」、「ダウン」という言葉が使われている。しかし英語の up と down は副詞である。名詞でもないし、動詞でもない。英語の speed up, speed down を「スピード・アップ」、「スピード・ダウン」として受け入れ、これを「スピードをアップする」、「スピードをダウンする」と解釈したのが始まりだろうが、単純に間違っている。speed が動詞で up と down は副詞なのだから、日本語式に読むなら「アップにスピードする」、「ダウンにスピードする」である。つまり「上に (up) 加速する (speed)」、「下に (down) 加速する (speed)」ということだ。「下に加速する」とは奇妙だが、climb が「登る」を意味するのに climb down が「降りる」を意味するのと同じだ。もっとも普通は speed down ではなく slow down を使う。「バージョン・アップ」はこの誤った「アップ」から作られた和製英語だ。同じく「カウント・アップ」、「カウント・ダウン」も元の count up, count down の count が動詞なので、「上に (up) 数える (count)」、「下に (down) 数える (count)」という意味だが、「カウントをアップする」、「カウントをダウンする」だと勘違いされているように思える。その他、日本語で動詞のように使われている英語の副詞に on, off がある。「スイッチ・オン」、「スイッチ・オフ」は「入りに (on) 切り替える (switch)」、「切りに (off) 切り替える (switch)」であり、「スイッチをオンする」、「スイッチをオフする」ではない。

気色悪い言葉としては他に「イン」がある。「フルーツ・イン・ゼリー」や「リンス・イン・シャンプー」の「イン」だ。英語の in は前置詞で、語順が日本語とは逆のため、fruits in jelly はゼリーの中の果物という意味になる。もしかして「フルーツ・イン・ゼリー」は本当にゼリー漬け果物を売っているのだろうか。そうならもっと果物を増やすべきだ。てっきり果物入りゼリーだと思っていた。

その他、「ツーショット」や「ブレイクする」などの言葉は明らかに誤りなので使わないだけだが、今まで英語だと思っていた言葉が和製英語だと分かるとがっくりくる。車の「ハンドル」や野球の「デッドボール」が通じないと知ったときは驚いた。教会で花嫁が歩く「バージン・ロード」は処女性を尊重するキリスト教らしい名前だと思っていたら、これもまた和製英語だった。ふざけた名前だ。

どうも日本人は英語をなめているのではないか。文法を無視して勝手に単語を並べれば通じると思っているのかもしれない。英語を話すときに片言の英語を使うのは別にかまわない。おそらく聞き手は理解しようと努力してくれるだろう。間違えても良いから自信を持って話すべきである。だが英単語を日本語に輸入するときはそんな安易なやり方をして欲しくない。間違った言葉で日本語を汚染するのは不愉快だ。「英語力向上」と言えば日本語として正しいし意味も明らかなのに、わざわざ英語を間違えて「英語力アップ」と言うのはなぜなのか。何も考えていないか、単に見栄えのためだろう。

もちろん、外来語が全て悪いと言うつもりはない。借用語の意味が元の言語からずれることもよくある。例えば英語の advice は日本語の「アドバイス」になったが、似たような言葉があるのに「アドバイス」が受け入れられたのは、言葉の隙間をぴったり埋めたからである。

批判的協力的
公的勧告助言
私的忠告アドバイス

私的で協力的な指示を表す言葉が欠けていたので、英語の advice を輸入したのだ。このような借用語は日本語を豊かにするので、歓迎するべきだ。

だが最近のカタカナ語の多くは、言葉の隙間を埋めるためではなく新奇性のためだけに使われている。重視されるのは知識や知性の増大ではなくファッション性なのだ。そこには情報共有や教育の視点はなく、流行遅れの人間への軽蔑が見え隠れする。

日本人はかつてこの国を言霊ことだまさきわう国だと祝福した。だが今の日本に満ちているのは言霊ではなく、見た目だけの空虚な言葉である。流行歌を聞いてみても、菓子の包装を見てみても、意味不明なへっぽこ英語が散りばめられている。伝えたいことがあるから歌うのではないのか。曲だけ聴かせたいなら詞など不要だ。とんちんかんな英語で一体何を伝えようというのか。日本にあふれる滑稽こっけいな英語を、英語話者は Engrish と呼んで笑っている。それが滑稽なのは間違った英語だからではなく、格好良いと思ってやっているからである。日本人だって海外でおかしな日本語を見るとつい笑ってしまう。

もっと考えを正しく伝える努力をしよう。「指輪物語」の映画の邦題を「ロード・オブ・ザ・リング」とした人や、のみいちを「フリー・マーケット」と名付け直した人は大馬鹿である。まともな日本語の使い手なら「ロード」は road (道路) の意味だと思うし、「フリー」は free (自由) の意味だと思うだろう。外来語には漢字がなく同音異義語を区別できないから、誤解されないはずがない。「ロード・オブ・ザ・リング」の「ロード」が lord (君主) だと分かる人は多くないし、「フリー・マーケット」の「フリー」が flea (蚤) だと分かる人はさらに少ないだろう。「指輪物語」という名前が気に入らないなら「指輪の王」などと名付けるべきだし、「蚤の市」が気に入らないなら「古物市」や「中古品市」を使えば良い。「プライベート・ライアン」に至っては全く意味不明だ。一体、どのくらいの人が private に「兵士」の意味があると知っているだろうか。原題の "Saving Private Ryan" は「ライアン一等兵の救出」という意味である。

意味不明な言葉を使わず、聞きかじりの決まり文句も使わず、自分の伝えたいことを自分の言葉で表して初めて言葉に力が宿るのだ。各自がそれを理解するなら、日本は言霊の幸う国となるだろう。


参考文献:
リンク:
目次に戻る

Copyright(C) 高杉親知 (tssf.airnet.ne.jp)