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鈍化する思考力


近年、カタカナ語が氾濫はんらんしている。以前は日本語のしなやかな吸収力の現れだと考えてあまり気にしなかったが、最近は過剰な外来語が日本人に悪影響を与えていると思うようになった。その悪影響とは、思考力の鈍化である。

日本語は和語と漢語を持ち、両者が組み合わさって豊かな語彙を提供する。和語が日常語で漢語が高級語という違いは誰でも気付くが、もう一つ重要な違いは漢語はほとんどが名詞だということだ。ごく一部の漢語は動詞になっているが(「論じる」、「講じる」、「牛耳る」など)、その他は基本的に名詞で、「する」が付いて動詞になったり「な」が付いていわゆる形容動詞になったりするに過ぎない。後置詞(助詞)は当然として、通常の動詞、形容詞、指示詞などは全て和語しか存在しない。

漢字は数が多く、漢語は通常二つの漢字で構成されるため、漢語の種類は非常に多いが、漢字には意味があるので記憶するのはそれほど困難ではない。従って微妙に異なる事象を表すのに漢語は非常に適している。例えば、和語では「開く」一つでも、漢語では開く物によって「開店」、「開場」、「開校」、「開港」、「開講」、「開山」などを使い分ける。

最近多い英語由来の外来語もまた、ほとんどが名詞である。動詞になったのは double から来た「ダブる」など、非常に少ない。日本語に入った英単語は、一般に漢語より意味が広い。例えば「オープン」という単語一つで先程の「開店」、「開場」などの全てを置き換えることが可能だ。一見これは便利なようだが、少ない単語に広い意味を持たせるか、あるいは多くの単語に狭い意味を持たせるかは言語の指向性の問題で、どちらが優れているわけではない。

最近の英単語輸入は、英語礼賛だけから来ているのではなく、ほとんどの外来語が名詞であることも理由になっている。新しく店を開いたとき、「新しいお店ができました」という広告文は長過ぎてぱっとしない。それより「新規開店」や「新規オープン」のほうが短くて目に飛び込みやすい。すると必然的に名詞を多用することになる。日本語では動詞や形容詞は活用があるので長くなりがちだからだ。また項目を個条書きにするときも体言止めが好まれるため、やはり名詞が多用される。当然、和語の出番が減り、漢語と外来語が増えることになる。

しかし日本語において英語が漢語を置き換えるのは問題がある。日本人は、意味が広い和語の隙間を、千年以上かけて意味が狭い漢語で埋めてきた。それが日本語の幅を広げたのだが、今後英語由来の外来語を増やしても日本語は豊かにならない。英単語は和語と同じく意味が広いからだ。むしろ漢語を押し潰していくので、幅は狭まるばかりである。「新規開店」なら店が出来たことが明らかだが、「新規オープン」では何が出来たのかは分からない。例えば最近「チェック」という言葉が安易に使われていると感じる。漢語なら「点検」、「検査」、「照合」、「確認」、「検証」、「検図」、「解析」、「分析」などを使い分けるのに、英語なら「チェック」一つだ。楽だが、曖昧あいまいなのは確かだろう。

物事を大まかにつかむ和語と細かく切り刻む漢語という二つの道具があるのに、あえて粗い英単語を輸入して漢語を捨てるのは無益である。しかも従来切り分けていた物を切り分けないのだから、それだけ思考の鋭さが減るのは間違いない。語彙の貧困は思考の貧困を生み出すにも関わらず、我々は英単語を使うときに思考力が鈍化していることに気付きもしないのだ。

言語を使用するからには思考を研ぎ澄ます語彙が欲しい。和語と漢語の組み合わせにはそれができる。外来語が漢語を駆逐することは言語の堕落といってよい。英語を輸入するにしても、漢語の精密性を失うべきではない。


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