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未来の形声


クイズなどで漢字の部首を問うのを見かけることがある。例えば「聞」の部首は何か、という問いがそうだ。求められる答えは「耳」であり、「間」や「開」に含まれる「もんがまえ」ではない。確かに聞くのは耳を使うので単純に納得してしまいそうだが、実はこの問いはあまり意味がない。

「聞」の部首を問う人の胸中にあるのは康煕字典こうきじてんである。清の康煕帝が編纂させたこの大部の字書は長らく漢字文化圏の標準として使われ、その後の字書に大きな影響を与えた。康煕字典では「聞」の部首は「耳」である。しかし現代の全ての字書が康煕字典の分類を踏襲しているわけではない。見たまま「門」を「聞」の部首にする字書もある。部首とはそもそも漢字を分類する便法だから、意味を重視しても良いし、見た目を重視しても良い。編纂者が決めることだ。そのため字書を指定しないで「聞」の部首を問うのは意味がない。かといって康煕字典での部首は何かと尋ねるのも有意義な質問とは思えない。

そもそも漢字がどう作られたかを考えよう。前漢の許慎は漢字の作成法を象形、指事、会意、形声、転注、仮借かしゃの六種類に分類した。これを六書りくしょという。ここでは形声だけに注目する。形声とは、二字からなる合成字で、一方が発音、もう一方が意味を担うものを指す。発音を表す方を音符または声符と呼び、意味を表す方を意符または義符と呼ぶ。例えば「清」や「晴」は形声字である。どちらも「青」が音符で、「シさんずい」と「日」が意符である。音符は音を表すだけでなく意味も表すことが多い。「清」と「晴」は明らかに「青」の意味を受け継いでいる。清水は青水で、晴天は青天だ。形声字の生まれ方には以下の三通りがある。

  1. 多義化した字を区別するために意符を加える。「青」が青だけでなく清浄や晴天も意味するようになり、まぎらわしくなった。そこで「シ」や「日」を加えて新しい字を作り、一つの意味に一つの字を割り当てて分かりやすくした。

  2. 仮借字を優先するために意符を加える。「七」は骨を刃物で断つことを示す象形字だったが、たまたま同音だった 7 の意味で使われるようになった。これを仮借という。当て字のことだ。「七」は 7 の意味で使うようになったので、元々の意味を表すため「刀」を加えて「切」を作った。ひさしを貸して母屋を取られた格好だ。

  3. 仮借字を分かりやすくするために意符を加える。この場合は音符に意味がないことが多い。仏典の漢訳時、障害を意味する mara に「麻羅」という字を当てた。この「麻」に「鬼」を加え、「魔」という字が生まれた。同様に sam.gha の当て字の「曾加」に「にんべん」を加えて「僧伽」とし、今では「僧」だけで仏門の徒を表すようになった。
このように形声字では意符と音符を通じて他の字とつながるので、それを知ると字を理解しやすくなり有意義である。康煕字典では漢字をおおむね意符で分類するが、例外もある。例えば「舅」の意符は「男」、音符は「臼」だが、康煕字典での部首は「臼」である。よって、漢字の部首を問うのではなく、形声字の意符と音符が何かを問うべきなのである。



「聞」の部首がクイズになり得るのは音符の「門」が分かりづらいためだ。漢字の部首には、左半分のへん、右半分のつくり、上半分のかんむり、下半分のあし、上から左にかけてのたれ、左から下にかけてのにょう、それ以外のかまえがある。形声字を作るとき、意符は偏や冠として付け足すことが多い。旁や脚は「のぶん」や「おおがい」など、数が限られている。そこで形声字の場合、音符は旁や脚となると考えてほぼ間違いない。だからこそ音符が構になる「聞」は難しいのだ。

音符が偏や冠などにあって意符のように見えたり、普通に字を二分すると誤りだったりする形声字にはどのようなものがあるか、見てみよう。

音符が偏にある字:
音符意符形声字
(邑)
しょうそう(壮)
しょう
しょう
じょう(状)
しょう(将)
しょくしょく

音符が冠にある字:
音符意符形声字
がくがく(学)
かく(覚)
かく
きょうこう
きょう
きょう
けいえい
えい(栄)
えい(営)
けい
えい
けい
おう
けんけん(巻)
けん
けん
けん
けん
かん
音符意符形声字
さんさん(簒)
さん
しょうどう
じょう
とう
しょう
とう(当)
しょう
しょう
しょう
とう(党)
ばく
まく
ばく
はんはん
はん
音符意符形声字
へいへい
へい
ひつ
べつ
へい
べつ
(与)(誉)
れんらん
れん(恋)
へん(変)
らん
れん
らん
ばん(蛮)
らん
らん

音符が垂にある字:
音符意符形声字
えんえん
おうおう(応)
月(肉)よう
よう
がんがん
音符意符形声字
りょりょ
りょ
月(肉)

音符が繞にある字:
音符意符形声字
かい
ぎょうぎょう
こくこく
だい
めんべん

音符が構にある字:
音符意符形声字
あいあい(愛)
(気)
さいさい
さい
さい
さい
せい(斉)さい(斎)
せい
せい
音符意符形声字
しょうぞう
(弐)
[辛辛]べんべん(弁)
べん(弁)
べん(弁)
べん(弁)
ぼんふう
ほう
もんもん
もん
ぶん

二分すると音符を誤る字:
音符意符形声字
かくかく(殻)
こく(穀)
こく
かんかん
かん
かん
かんえん(塩)
きょうきょう
くんくん(勳)
こくもく(默)
音符意符形声字
しんせん
はく(覇)
ゆうしゅう
じょう(条)
しゅく
月(肉)しゅう
じょう
ようしょう
とう
とう
とう

二分すると意符を誤る字:
音符意符形声字
[方人]
せいせい
たんせん
ふつはい
ばんはん
もうぼう
じゅうじゅう(従)

音符が音を表すとはいえ、形声字の中には長い年月を経て音が変わってしまったものもある。それでも音符が分かれば音を大体予測できると言えよう。漢字の大多数は形声字なので、形声字の構成をよく知るほど漢字を深く理解できる。その意味で日本の新字体の「勲」と「黙」は不可解だ。旧字の「勳」と「默」のほうが音符と意符が分かりやすいのに字体変更してしまった。



漢字は字書に出ているものだけで五万字を超える。未掲載の異体字を含めると十万字を超えると言われている。その多くが異体字なので実質は二、三万くらいだろうが、それでもかなりの字数だ。漢字がこれだけ増えたのも、前述した形声の原理でどんどん漢字を生み出してきたからである。意符を加えることは多義字や仮借字を解消する働きがあり、分かりやすくなる利点が字数の増える不利を上回るのである。また新しい字を作る一方で古い字をどんどん捨て去ることで、実際に使う字数を増やすことなく時代に対応し続けてきた。

しかしコンピュータの登場で漢字に文字コードが割り振られるようになると、勝手に新しい字を作れなくなってしまった。人々が共通の文字コードを使うことで情報を正しくやりとりできるが、同時にそれは漢字を固定化することを意味し、活力を根底で傷付けたのである。英語の力の前に日本人はもはや漢字を用いた造語能力をほとんど失っているが、それでもなお「鯖」(サーバーのこと)や「串」(プロクシのこと)などの遊びに満ちた当て字が生まれている。また差別意識解消のための漢字改革もいずれする必要があると思うが、文字コードの制限のため簡単にはいかない。言葉のはやり廃りが日本語の新陳代謝を担っているように、漢字も自由に生まれる環境がないと、緩やかな死を迎えることになる。前述したように当て字(仮借)に意符を加えて形声字とするのは漢字を生み出す最も普通の方法だ。例えば「米」はコメ以外にアメリカの当て字としても使われ、まぎらわしい。「米」に国を表す「くにがまえ」を加えた「[囗<米]」をアメリカ専用の字とするような、自由で多様な実験ができるようになれば、中には生き残る字も出てくるだろう。


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