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ラよ、さらば


「ラ抜き」と呼ばれる現象が話題になっている。共通日本語では一段動詞の未然形に「られる」を付けて可能表現にするが、代わりに「れる」を用いるのがそれだ。例えば、「見ることができる」は「見られる」と言うのが正しいが、近年は「見れる」もよく聞く。実は元々「られる」ではなく「れる」を用いる方言があり、「れる」か「られる」かの違いは方言差だと言えるので、共通語の視点に立った「ラ抜き」という表現より「ラ無し」のほうが正確である。今後はこの現象を「ラ無し」と呼ぶことにする。

私はラ無しを支持し、進んでこの文法の変化を受け入れる。単純で弁別性の高い文法こそ美しく、ラ無しはその方向に向かっていると考えるからだ。以下でその理由を説明する。

まず、一般的な文法規則を取り上げよう。平安時代には、日本語の動詞には 9 種類の活用形があった。以下にその変化形を示す。なお、ここではローマ字は音ではなく音素を表す。

種類語幹未然連用終止連体已然命令
四段活用書くkak--a
かか(ず)
-i
かき(たり)
-u
かく
-u
かく(とき)
-e
かけ(ば)
-e
かけ
下一段活用蹴るk--e
け(ず)
-e
け(たり)
-eru
ける
-eru
ける(とき)
-ere
けれ(ば)
-eyo
けよ
ナ行変格活用死ぬsin--a
しな(ず)
-i
しに(たり)
-u
しぬ
-uru
しぬる(とき)
-ure
しぬれ(ば)
-e
しね
ラ行変格活用有りar--a
あら(ず)
-i
あり(たり)
-i
あり
-u
ある(とき)
-e
あれ(ば)
-e
あれ
上一段活用見るm--i
み(ず)
-i
み(たり)
-iru
みる
-iru
みる(とき)
-ire
みれ(ば)
-iyo
みよ
上二段活用起くok--i
おき(ず)
-i
おき(たり)
-u
おく
-uru
おくる(とき)
-ure
おくれ(ば)
-iyo
おきよ
下二段活用食ぶtab--e
たべ(ず)
-e
たべ(たり)
-u
たぶ
-uru
たぶる(とき)
-ure
たぶれ(ば)
-eyo
たべよ
カ行変格活用k--o
こ(ず)
-i
き(たり)
-u
-uru
くる(とき)
-ure
くれ(ば)
-o
サ行変格活用s--e
せ(ず)
-i
し(たり)
-u
-uru
する(とき)
-ure
すれ(ば)
-eyo
せよ

これらの活用形はそれぞれ長い年月で変化し、現代日本共通語では以下のように 5 種類に簡略化されたと学校で学んだはずだ。

種類語幹未然連用終止連体仮定命令
五段活用書くkak--a
かか(ない)
-i
かき(ます)
-u
かく
-u
かく(とき)
-e
かけ(ば)
-e
かけ
蹴るker-
死ぬsin-
有るar-
上一段活用見るm--i
み(ない)
-i
み(ます)
-iru
みる
-iru
みる(とき)
-ire
みれ(ば)
-iro
みろ
起きるok-
下一段活用食べるtab--e
たべ(ない)
-e
たべ(ます)
-eru
たべる
-eru
たべる(とき)
-ere
たべれ(ば)
-ero
たべろ
カ行変格活用来るk--o
こ(ない)
-i
き(ます)
-uru
くる
-uru
くる(とき)
-ure
くれ(ば)
-oi
こい
サ行変格活用するs--i
し(ない)
-i
し(ます)
-uru
する
-uru
する(とき)
-ure
すれ(ば)
-iro
しろ

しかしながら、現代日本語で上一段活用と下一段活用が分けられているのは中世日本語との一貫性を考えるからで、実際には同じと考えた方が良い。文法とはそもそも、本能的に学んだ母語の規則を書き出したものだから、子供時代に中世日本語を学んでない以上、現代日本語の文法が中世日本語の文法と同じように解釈される必要はない。したがって、動詞を以下のように五段動詞、一段動詞、不規則動詞の 3 種類に分ける。実際、外国人向けの日本語教育では動詞をこのように分類する。

種類語幹未然連用終止・連体仮定命令
五段動詞書くkak--a
かか(ない)
-i
かき(ます)
-u
かく
-e
かけ(ば)
-e
かけ
蹴るker-
死ぬsin-
有るar-
一段動詞見るki--
み(ない)
-
み(ます)
-ru
みる
-re
みれ(ば)
-ro
みろ
起きるoki-
食べるtabe-
不規則動詞来るk--o
こ(ない)
-i
き(ます)
-uru
くる
-ure
くれ(ば)
-oi
こい
するs--i
し(ない)
-i
し(ます)
-uru
する
-ure
すれ(ば)
-iro
しろ

規則動詞が 2 種類になったので、命令形以外の活用形は統一的に記述できるようになった。未然形、連用形、終止・連体形、仮定形はそれぞれ -(a), -(i), -(r)u, -(r)e と書ける。語幹が母音で終わるか子音で終わるかで、括弧内の音素を挿入するかどうかが決まる。語幹が母音で終わるものが一段動詞、子音で終わるものが五段動詞である。例えば従来の国文法は、意志を表す場合、五段動詞の未然形に「う」を付けて音便を起こすか(書かう→書こう)、一段動詞の未然形に「よう」を付ける(見る→見よう)と説明する。しかしこれを -(y)ou と表記すればそのような場合分けは不要となる。一段動詞は母音で終わるので /y/ を挿入し、五段動詞は子音で終わるので挿入しない。

この分類に基づいて可能形を考察しよう。以下に可能形と受身・尊敬・自発形を示す。可能形が 2 個あるものは、上段がラ無し、下段が通常のものである。表中、語尾は全て終止・連体形を表す。

種類語幹基本可能受身/尊敬/自発
五段動詞書くkak--u
かく
-eru
かける
-areru
かかれる
一段動詞見るmi--ru
みる
-reru
みれる
-rareru
みられる
-rareru
みられる
不規則動詞来るk--uru
くる
-oreru
これる
-orareru
こられる
-orareru
こられる
するs--uru
する
dekiru*
できる
-areru
される

* 「する」には可能形はなく、代わりに「できる」を用いる。

これを見て分かるように、ラ無しのほうが五段動詞と一段動詞の一致度が高い。五段動詞では -u, -eru, -areru を使い、ラ無しの一段動詞では -ru, -reru, -rareru を使うので、これらを統一的に表記すると -(r)u, -(r)eru, -(r)areru となり、挿入する音素は /r/ で統一される。通常の可能形を用いる場合、統一的な表記は -(r)u, -(rar)eru, -(r)areru となるが、/rar/ のように 3 個の音素を挿入するのは他にはなく、一貫性が低い。従ってラ無しのほうが文法が簡単で論理的である。しかも通常の変化形では、一段動詞と「来る」の受身・尊敬・自発形と可能形を区別できない。これら 2 点でラ無しのほうが優れている。

日本語では、五段動詞が標準で、一段動詞はやや例外的である。幼児は一段動詞の命令形を間違えて、「見れ」や「起きれ」などと五段動詞のように使うことがある。しかし逆はない。また先ほどの中世日本語と現代日本語との比較でも分かるとおり、日本語の動詞は中世以来一貫して単純化の方向に向かっている。一段動詞の変化を五段動詞に合わせようとするのは自然であり、ラ無しもこの流れに沿ったものだ。

過去において、ナ行変格活用やラ行変格活用が五段活用に吸収されたのは、活用の違いが意味を持たなくなり、少数派の変格活用動詞に対して多数派の五段活用動詞の規則が適用されたからである。本来、ナ行変格活用は完了を意味しており、ラ行変格活用も状態を意味していたので、動作を意味する四段活用とは明確な違いが感じられたはずだ。しかしながらその違いが感じられなくなってきたため、四段活用に吸収されてしまったのだ。現代日本語を考えてみると、五段動詞と一段動詞が異なる文法規則を持つべき積極的な理由はない。二つの動詞群の間に現代人は意味の違いを感じないからだ。一段動詞はかなり多いので五段動詞の影響をなかなか受けないが、それでもやがて一つに収束すると考える。従って、その前兆であるラ無しははっきりとした方向性を持つ変化であって、起こるべくして起きた文法の簡略化である。

ラ無し表現は非ラ無し表現に比べて文法的に簡単であり、また受身・尊敬・自発形と可能形を区別できる点で優れている。言語に分かりやすさを求めるなら、ラ無しは歓迎するべき変化だろう。また、この変化は必然的であり、起こるかどうかではなくいつ起こるかが問題だったのである。よって私はラ無しを支持し、積極的に使用する。

こうしてラ無しに賛成する私は、むしろラ無しへの変化が一気に起こっていない点が気がかりだ。つまり「見ることができる」を「見れる」、「食べることができる」を「食べれる」と言うのはもはや一般的だが、「考えることができる」を「考えれる」、「信じることができる」を「信じれる」と言うのはまだ一般的ではないのだ。5 拍以上の長い動詞や昔ザ行変格活用だった動詞はラ無しにするのが難しいらしい。しかしよく考えると別の要因もあると分かる。例えば、「何の対策も講じれない」より「そんな話は信じれない」のほうが違和感がある。どちらも昔ザ行変格活用だった一段動詞「講じる」と「信じる」の可能形だから、感じる違和感は同じになるはずなのに、なぜ違うのだろう。私は内省の末、前者が純粋な可能形であるのに対し後者が自発形の影響があるからだと結論した。つまり、「私対策講じられない」のに対し、「私その話信じられない」という構造の違いのためなのだ。このように、ラ無しを採用することで見逃しがちな構造の差異を見出せることになる。やはりラ無しは優れている。


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