二酸化炭素の国別排出量規制について


現在、京都で地球温暖化防止に関する会議が行われている。二酸化炭素などの温暖化効果のある気体の排出を押さえない限り、地球の温暖化が進み、低地の浸水や異常気象、熱帯性伝染病が発生する。この点に関して科学者の意見は一致している。地球の温暖化は人間の産業活動によるものであり、その被害は深刻なものとなるだろう、ということである。問題はいかに温暖化をくい止めるか、特に、いかに温暖化ガスの排出を押さえるか、という点にある。京都会議ではこの排出抑止が主要な議題だ。

人間が排出する温暖化ガスにはいくつか種類があるが、その大半を占める二酸化炭素に話題を絞ろう。現在、日本、EU、アメリカからそれぞれ提出されている二酸化炭素の排出抑止案は、1990 年の二酸化炭素排出量を基準として 0% から 15% 削減した値で排出枠を設定しようというものだ。この排出量はすべて国ごとの排出量であり、排出枠も国に対して当てはめられるものである。

しかしながら、二酸化炭素の排出規制を 1990 年の排出量で決めるというのは正しいのだろうか? 二酸化炭素をゴミに置き換えてみよう。今まで大量のゴミを捨ててきて、ついにその量が多すぎるということに気付いた。いざそのゴミを撤去するというとき、誰が費用を負担すべきか。やはり捨てたゴミの量に比例した費用を支払うべきではないだろうか。それとも、1990 年に捨てたゴミの量を基準として、これから捨てても良いゴミの量を設定すべきだろうか。

以下の表は、1950 年から 1994 年までに排出された二酸化炭素の量である(重さは炭素原子換算)。

地域炭素 (106 kg)パーセント
アメリカアメリカ合衆国4866330726.51
カナダ39147772.13
メキシコ19844711.08
その他59586443.25
ヨーロッパEU3308412818.02
旧ソ連2994213216.31
その他123667606.74
アジア中国142059377.74
日本81586814.44
インド37623592.05
韓国11716520.64
中東53547262.92
ASEAN26231981.43
その他24462051.33
アフリカ-48251152.63
オセアニアオーストラリア19911391.08
その他3056130.17
世界183551000100.00






この表を見れば分かるとおり、二酸化炭素に責任を負うべきなのはアメリカ、EU、旧ソ連の諸国である。ところが排出枠方式では、排出枠は 1990 年の排出量に比例して決められるため、これらの国々は依然として大量の二酸化炭素を排出する権利があるのである。過去の過ちは許すとしても、過去の過ちに比例して未来への免罪符を与えるというのは奇妙な発想だ。

日本政府はアメリカ追従型の何ら理念のない外交を京都会議でも繰り返しているが、国情の全く異なるアメリカと同調する必要性は全くない。過去に二酸化炭素を排出してきた量の違いもさることながら、現在でも平均的アメリカ人は平均的日本人の 2 倍の二酸化炭素を放出しており、また国内に石油産業を抱えるアメリカと石油をほぼすべて輸入に頼る日本とでは石油に対する規制の経済的効果は全く正反対であると言って良い。それにも関わらずアメリカと同調するのは愚かしい限りである。

この排出枠は輸出入することができるようになると予想されている。つまり排出枠を使い切らなかった国は、その余った排出枠を、排出枠を超えそうな国に売ることができる。この場合、全体の排出枠は守られるにも関わらず、より少なく排出した国が利益を上げられ、排出削減に熱心な国が得をする仕組みになっている。したがってこの排出枠の取引という考え自体は優れている。しかし、良く考えてみて欲しい。あるものが取引できるということは、それは財産と同じだということなのだ。したがって排出枠は財産である。排出枠を多く持っている国は財産を多く持っているのと同じことだ。地球環境は人類と自然の共有財産であるから、排出枠は人類の共有財産である。しかし現在の案ではこの排出枠はあくまで 1990 年の排出量に比例して分配される。したがって、世界の二酸化炭素の 20% 以上を排出するアメリカは、この財産の 20% 以上を得ることになる。1人あたりで見ると、アメリカ人は日本人の 2 倍の二酸化炭素を排出しているため、2 倍の排出枠を得ることになる。これではとても公平な分配とは言えない。

すべての国の排出枠を同じにしろと言っているのではない。重要なのは、排出枠は財産なのだから、分配もそれが財産であるとの視点に立って行われるべきだということだ。具体的には、初年度の排出枠は競売によって分配すべきなのだ。その利益は国連や地球温暖化に関する国際機関が受け取ればよい。この方法ならば、それぞれの国が経済規模に応じて排出枠を購入できるため合理的である。また無駄に排出枠を使う国はそれだけ多く支払いをするわけだから公平である。この方式では先進国が排出枠を独占するので発展途上国に不利だと思うかも知れないが、それは違う。無条件に先進国が多くの排出枠を獲得し、発展途上国が少ない排出枠しか与えられない現在の案の方が、はるかに発展途上国に厳しいのだ。二酸化炭素を多く排出したい国は多く排出枠を買うという仕組みならば、発展途上国は自らの進路を選択をすることができる。

だがこの排出枠競売制も根本的な解決にはならないだろう。例えばあなたが二酸化炭素を大量に排出する暮らしをしているとしよう。あなたがどこの国で暮らしていようと、あなたが地球温暖化に与える影響は同じだ。だが、実際は住んでいる国によって二酸化炭素の排出枠が異なるため、ある国では高い温暖化防止税を払い、他の国なら払わなくてすむということがあり得る。個人でなく企業でも同じである。工場がどこにあっても地球温暖化に与える影響は同じだ。だが国によって規制が異なるであろう。すると、規制が最も緩い国に二酸化炭素をもっと排出したい人々や企業が集まることになる。そうなると、規制が強い国にとどまって地球温暖化防止に協力している人々や企業は損をすることになってしまう。これは公平ではない。

したがって最終的には、国ごとの排出枠を廃止し、世界中の個人や企業に対して均一な温暖化防止税を導入することが必要となるだろう。この温暖化防止税は各個人や企業の二酸化炭素排出量に比例して徴収されるものだ。世界中で均一ならばどこの国にいても払う税金は同じになる。各個人や企業に対して、地球温暖化に与える影響に正確に比例した費用を負担させることができるようになる。税金と同額の補助を組み合わせると、規制の効果を大幅に上げられることが知られているため、実際の税率はそれほど高くならないはずである。

設定した税率で二酸化炭素の排出量が減らない場合、税率を上げれば良い。仮に二酸化炭素の排出量の価格弾力性が 1 であるならば、排出量の目標に対する現在の排出量の比率を現在の税率に掛ければ良い。価格弾力性とは経済学の用語で、価格が x% 上がるときに消費が y% 下がるときの y / x のことをいう。価格弾力性が 1 ということは、およそ価格(この場合は税率)と消費(この場合は二酸化炭素の排出量)が反比例するということである。したがって、現在の排出量が目標の 2 倍なら、税率を 2 倍にすれば排出量はおよそ半分になるだろう。もちろん多少のずれはあるので、目標に達するまで税率を調整していけばよい。これにより、すべての個人と企業が、地球に与えた被害を埋め合わせるだけの出費をすることになる。



二酸化炭素情報分析センター (CDIAC)

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