映画「ラヂオの時間」を見て


「ラヂオの時間」は久々に笑える映画だった。ひたすら言葉で笑わせる映画で、Mr.ビーンのような動きで笑わせるのとは対極にあると言って良いが、私は「ラヂオの時間」の方を高く評価したい。言葉のために普遍性はないかも知れないが、打てば響くような素早い笑いは言葉からしか生まれないように思う。

この映画はほとんどがラジオ局の放送室という密室の中で話が進む。その密室性と言葉の濃密さの中で、よく練られた笑いが連発されるので、観客はあたかもそのめちゃくちゃな状況に一緒に参加しているような錯覚を覚える。登場人物の数も控えめでありそれぞれが個性的で、誰も受けを狙っているわけではないのに馬鹿馬鹿しい行動ばかりして笑わせられる。中心となるのは、ラジオ劇の声優として招かれたプライドの高い 2 人の俳優の意地の張り合いだ。この 2 人の暴走が笑いの原動力となっている。一見、何の関係もなさそうに見えるトラックの運転手も最後の最後で笑わせてくれる。この運転手のシーンのこまめで唐突な挿入と、最後での笑わせ方は非常に巧みだ。

この映画の笑いのクライマックスは、ドナルド(ラジオ劇中の人物)がロケットに乗って地球に降り立つところである。ラジオ劇の物語の破綻ぶりと、ラジオ劇の声優たちの混乱ぶりには笑う他はない。

この映画はそれほど長い映画ではないが、せりふの密度が濃く話の展開が速いので、短さを全く感じさせない。元々はもっと長い映画だったのだが、せりふを削らずに時間を短くしたのでせりふの密度が濃くなったのだという。海外の映画祭でも大好評だったそうだ。もっと続きが見たくなるような、喜劇の傑作である。



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