たばこを軽蔑する


  1. 概略

    私は嫌煙者だ。嫌いというよりむしろ、たばこを軽蔑している。たばこを吸っている人間を格好良いと思ったことはない。喫煙者に対して別に悪意はないが、たばこを軽蔑することが、いま社会に必要とされることだと考えているからだ。以下でその理由を説明する。


  2. 喫煙の害

    たばこが健康に有害であることは、今さら言うまでもないだろう。ニコチン、タール、煤煙のすべてが肉体の機能を少しずつ破壊する。非喫煙者と比べた場合の、喫煙者のいろいろな疾患による死亡率は次のようになっている。(出典:厚生省「成人病のしおり」、1982)

    死因死亡率
    全死因1.3
    全がん1.6
    喉頭がん20.3
    口腔・咽頭がん4.6
    肺がん4.1
    食道がん2.1
    肝臓がん1.7
    膀胱がん1.6
    すい臓がん1.5
    胃がん1.5
    肺気腫けい肺など2.2
    気管支ぜん息1.8
    虚血性心臓病1.7
    胃・十二指腸潰瘍2.1
    肝硬変1.3

    驚くのは、全死因で見た場合でもなお死亡率に 3 割の差があるということだ。喫煙が、がんだけでなく色々な疾患の原因となっていることが分かる。

    喫煙を擁護する意見として、喫煙は個人の趣味であり、それによって病気になっても他人には関係ない、というのがあるが、これは正しくない。病気になった場合、医療費を個人が全部負担するわけではなく、医療保険という形で支援があるからだ。喫煙者が非喫煙者に比べ 3 割多く病気で死ぬということは、喫煙者のうち約 3 割は余分な病死であり、その分だけ医療費が無駄に使われているということを意味している。現在の日本の医療費は約 27 兆円なので、日本人の喫煙率を約 3 割とすると、医療費の約 1 割、すなわち 3 兆円近くが喫煙者のために無駄に使われている計算になる。たばこ税の収入は約 1 兆円なので、たばこ税を今の 3 倍くらいにしてちょうど釣り合うくらいだと分かる。実際にはこの計算には誇張があり、人間はいずれ死ぬので 3 割が余分な病死とは限らないが、たばこによって死亡率が高まるのはがんが多く、がんは医療費がかかるので間違った推論ではない。そしてこの余分な出費は、医療費だけでなく民間の生命保険に関しても同様のことが言えるのだ。

    次に、喫煙者が病気にならないとしても、周囲の非喫煙者が病気になる可能性がある。副流煙、すなわちフィルターを通さず出てくるたばこの煙は、フィルターを通す主流煙よりもはるかにニコチンやタールが多いため、周囲の者が吸入させられる有害物質の量は少なくない。それにもかかわらず、喫煙者が周囲の者の健康の責任をとっているわけではない。

    社会的にもたばこは汚染源となっている。街や駅に落ちるごみのうち、半数以上はたばこの吸い殻であろう。これらを清掃する費用は地方税や乗車運賃に跳ね返ってくるので、非喫煙者も無関係ではいられないのだ。

    最後に、最近は分煙が進み、新幹線や飛行機で喫煙席/禁煙席を選べるようになった。しかし喫煙席と禁煙席が同じ値段設定であるのは正しくない。喫煙者は煙で内装を汚すのに対し、非喫煙者はそうではないからだ。同じ値段設定にすることによって、非喫煙者は余分な改装費用と分煙費用を負担することになる。

    このように、喫煙は喫煙者の健康に害であるだけでなく、非喫煙者にも負担をかけていることが分かる。たばこは社会にとって有害無益である。


  3. 時代の変化

    そもそも現在の喫煙者がたばこを吸い始めたきっかけは何であろうか。ニコチン依存症でないことは明らかである。恐らく、ほとんどの喫煙者がたばこが「格好良い」と思って喫煙を始めたのではないだろうか。実は、私も高校生時代にたばこを買ったことがある。たばこを吸うことで、何か進んだことをしているような気分だった。今では過去の自分の格好悪さを恥ずかしく思う。

    昔は確かにたばこは格好良いイメージを持っていたと言える。たばこは自由な男のシンボルであり、野性的な男のシンボルだったのだ。今でも Marlboro のコマーシャルなどの中に、このイメージが生き続けている。また未成年の者にとって、たばこを吸うことは法を破ることであり、それが反社会的であることが格好良いことだと思う者に対して魅力的であることは容易に理解できる。たばこを灰皿ではなく地面に捨てるのも同じ理由だ。

    しかしながら現代社会においては、もはやたばこは格好良いものではない。喫煙は格好悪い人間のすることだ。その理由を説明しよう。

    まず、喫煙が健康に有害であることは完全に明らかであり、喫煙することで自ら金を払って健康を害するのはくだらないことだからだ。しかもニコチンの依存性を知った上で喫煙を始め、実際にニコチン依存症になって禁煙できずに困るというのは馬鹿らしいという他はない。

    次に未成年者の喫煙に関して言えば、法を破ることが格好良いことだとする考えは思春期にありがちな敗北主義、悲観主義の産物であると言えるからだ。法を破ることは別に格好良いことではないし、自慢するほどのことではない。未成年者が喫煙することで自らの反社会性を誇示することは、自分に自信のない人間のすることだと批判されても仕方のないことだ。

    そして最後に、これが私にとってたばこを嫌う最大の理由なのだが、たばこは臭いからだ。格好良い外見をしていても、たばこ臭ければ格好悪いとしか言いようがない。しかも誰かがたばこを吸えば、喫煙者だけでなく周囲の非喫煙者までもたばこ臭さで汚染する。人間は不快な視覚や聴覚には慣れるが、不快な嗅覚や味覚には絶対に慣れないので、たばこ臭さが不快に思われるのは避けられない。またレストランで食事をとる時など、嗅覚が重要な役割を果たす時にたばこの臭気を発するのは、静かな映画館で騒音を発するようなものだろう。

    最初の話に戻ると、喫煙を始める理由はそれが格好良いと思うからであった。従って喫煙率を下げるには、社会がたばこを格好良いと思うことをやめる必要がある。たばこが健康に有害であることを宣伝しても、喫煙率の低下には限度がある。健康に悪いと知っていて喫煙を始める者がいるからだ。


  4. 結論

    たばこは社会にとって有害であり、喫煙率の低下に向けて努力する必要がある。たばこの健康に対する害は十分知らされている。これから必要なのは、たばこの格好良いイメージを打ち砕くことだ。たばこが格好良いものである限り、喫煙率の低下は進まない。社会はたばこを格好悪いものと見なす必要がある。

    以上の理由から、私はたばこを格好悪いと考え、軽蔑する。


  5. 補足

    当たり前のことだが、麻薬や覚せい剤はたばこよりもさらに格好悪いと考える必要がある。でなければたばこをやめて麻薬をやるようになるだけだ。



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