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投手と打者


野球は他の競技と違って用語が和訳されているので興味深い。最近は外来語のほうが優勢だが、「サードとショートの間」より「三遊間」のほうが簡潔だし、「ファースト」より「一塁」か「一塁手」のほうが正確だ。ただし「四球」と「死球」は同音衝突する上、「フォアボール」と「デッドボール」は和製英語なので悪い訳語である。英語では walk と hit by a pitch という。

球を投げる選手を「投手」、打つ選手を「打者」というが、英語では pitcher, batter というようにどちらも -er が付くのに、なぜ日本語ではそれぞれ「しゅ」と「しゃ」で終わるのだろうか。この接尾辞を持つ語を集めてみよう。

接尾辞意味
しゅ肉体的な
技能職
一塁手、右翼手、運転手、歌手、騎手、旗手、技手、交換手、左翼手、三塁手、射手しゃしゅ、選手、漕手そうしゅ操舵手そうだしゅ、中堅手、転轍手てんてつしゅ、投手、二塁手、砲手、捕手、野手、遊撃手、喇叭手らっぱしゅ
しゃ役割・立場唖者あしゃ、医者、為政者、引率者、運転者、泳者、演奏者、王者、開催者、加害者、患者、管理者、既婚者、記者、犠牲者、教育者、競技者、経験者、欠席者、健常者、後援者、好学者、攻撃者、候補者、功労者、雇用者、債権者、債務者、参加者、指揮者、識者、支持者、視聴者、勝者、作者、実験者、執行者、死別者、弱視者、受刑者、主催者、出席者、障害者、消費者、初心者、晴眼者、制作者、生産者、製造者、責任者、設計者、操縦者、走者、奏者、打者、担当者、地権者、聴者、聴取者、挑戦者、著者、通報者、適者、動作者、当事者、統率者、統治者、投票者、独裁者、難聴者、入院者、配偶者、敗者、覇者、被害者、被疑者、被験者、被災者、評者、部外者、扶養者、編者、編集者、保護者、未婚者、目撃者、訳者、有権者、有配偶者、勇者、優勝者、養育者、離別者、聾者ろうしゃ、労働者、論者、話者
求道者学者、技術者、求道者、キリスト者、芸者、研究者、儒者じゅしゃ、聖職者、仏者、役者

以上から明らかなように、「手」は何らかの任務を持つ肉体的な技能職を表し、「者」は一時的な役割や立場などを表す。例えば「運転手」は職業として車を運転する人のことで、タクシー運転手やバス運転手を指す。これに対し「運転者」は運転している人という意味しかなく、往々にして一時的である。例えば「事故時の運転者は不明」などのように使う。これを「ドライバー」と言うと、「運転手」と「運転者」を区別できる日本語の豊かさを失うことになる。

「投手」と「打者」はそれぞれ技能職と一時的役割である。野球選手は投手、捕手、野手のいずれかであり、打席に立つときのみ打者となる。打席を離れればもはや打者ではない。塁に出れば走者となる。batter を「打手」と訳すと、あたかも打つのを専門とする選手のようになってしまうが、実際はそんな選手はいない。pitcher, batter を「投手」、「打者」と訳した人は、野球と日本語をよく分かっていた。

この他にも日本語には職業や役割を表す接尾辞が数多くある。

接尾辞意味
いん一員委員、運動員、駅員、会員、外交員、会社員、外務員、課員、係員、楽員、学芸員、家庭福祉員、家庭奉仕員、館員、看護教員、監査委員、監督員、議員、厩務員、教員、局員、組合員、工員、工作員、交通巡視員、公務員、座員、参与員、室員、児童委員、司法委員、事務員、社員、従業員、所員、署員、乗員、乗務員、職員、職業訓練指導員、食品衛生監視員、審判員、船員、戦闘員、隊員、団員、駐在員、通信員、店員、添乗員、党員、特派員、乗組員、陪審員、班員、非戦闘員、評議員、部員、兵員、保険外交員、役員、薬事監視員、役職員、用務員、吏員、論説委員
専門家運動家、音楽家、演出家、演奏家、画家、革命家、活動家、鑑定家、漢籍家、企業家、起業家、脚本家、教育家、議論家、芸術家、研究家、建築家、工芸家、財政家、作詞家、作家、作曲家、慈善家、思想家、写真家、小説家、書家、声楽家、政治家、専門家、探検家、彫刻家、著作家、著述家、篆刻家てんこくか刀圭家とうけいか、陶芸家、投資家、批評家、評論家、武道家、舞踊家、文芸家、文筆家、冒険家、法律家、翻訳家、漫画家、落語家、歴史家、和算家
性格、趣味愛飲家、愛煙家、愛犬家、愛妻家、厭世家えんせいか、感激家、感情家、嫌煙家、健啖家けんたんか、好楽家、好色家、好事家こうずか、古銭家、策略家、手腕家、常識家、戦術家、蔵書家、大酒家、知日家、道徳家、篤志家、毒舌家、美食家、敏腕家、勉強家、夢想家、迷信家、野心家、郵趣家、雄弁家、楽天家、辣腕家、理想家、理論家
一家漁家、金満家、財産家、資産家、資本家、商家、農家
公的資格職運転士、栄養士、会計士、介護福祉士、気象予報士、救急救命士、行政書士、建築士、航海士、歯科技工士、司法書士、社会保険労務士、消防士、整備士、税理士、操縦士、測量士、代議士、中小企業診断士、土地家屋調査士、飛行士、不動産鑑定士、弁護士、弁理士、保育士、理学療法士
戦士海士、海上保安士、棋士、騎士、義士、空士、紳士、戦士、闘士、道士、武士、兵士、方士、魔道士、勇士、陸士、浪士
師匠鋳掛師いかけし、いかさま師、筏師いかだし、医師、鋳物師いものし、色事師、占い師、絵師、絵仏師、思惑師、傀儡師かいらいし、家畜人工授精師、甲冑師かっちゅうし、軽業師、釜師、瓦師かわらし、看護師、邯鄲師かんたんし、技師、奇術師、祈祷師、木仏師きぶっし、教師、曲芸師、釘師、薬師くすし、クリーニング師、軍師、講師、講談師、降霊術師、琴師、駒師、細工師、詐欺師、猿楽師、指圧師、歯科医師、下地師、獣医師、勝負師、助産師、銀師しろがねし鍼灸師しんきゅうし錫師すずし、整体師、占星術師、相場師、染め師、殺陣師たてし足袋師たびし茶筅師ちゃせんし、調教師、彫金師、調理師、調律師、柄巻師つかまきし鍔師つばし、手品師、手配師、道化師、庭師、塗り師、箱師、花火師、場面師、美容師、琵琶法師、振り付け師、ぺてん師、法師、牧師、保健師、魔術師、まじない師、マッサージ師、漫才師、薬剤師、山師、槍師、弓師、理容師、猟師、漁師、轆轤師ろくろし、業師
じん生き方歌人、軍人、詩人、茶人、俳人、文人
生まれ異人、外国人、外人、韓国人、関西人、漢人、関東人、黒人、縄文人、西洋人、台湾人、中国人、朝鮮人、東洋人、日本人、白人、弥生人

「投手」と「打者」にあるような微妙な差異がこれらの接尾辞にもある。「作家」と「著者」、「翻訳家」と「訳者」を比べると、「」が付くのは職業としての専門家であり、「しゃ」が付くのは一時的な役割だと分かる。同様に、「医師」は職業だが、「医者」は「患者」に対する立場である。

「障害者」の「者」は一時的な立場を表している。「健常者」も「障害者」も固定したものではなく、たまたまその立場に置かれているだけなのだ。このことは我々を謙虚にする。例えば知覚に障害を持つ人の名称には全て「者」が付いている。

知覚喪失
視覚晴眼者せいがんしゃ弱視者全盲者中途失明者
聴覚聴者難聴者聾者ろうしゃ中途失聴しっちょう
色覚-色弱者色盲者-

差別用語とされる「めくら」の代替語として「盲人」が使われることが多いが、「じん」を使うのは不適切なのが分かるだろう。「人」を使うと生まれが違うような感じがしてしまうが、晴眼者と全盲者の違いはたまたま視覚を持つかどうかであり、日本人と外国人のように生まれが異なるわけではない。そのため「盲者もうしゃ」を使うほうが良いと思う。これが使われないのは「亡者もうじゃ」に似ているからかもしれない。「視覚障害者」は問題ないが、長たらしいので私は好きではない。ちなみに、最近は「健常者」や「健聴者」という語はあまり使わない。障害者も同じように健康だし、少数派だからといって異常呼ばわりされる筋合いはないからだ。

「士」と「師」は音は同じだが、意外に厳密に区別されている。元々「士」は支配階級を表す字で、今は公的資格職と戦士の意味に分かれているが、どちらも体制側の職である点が共通している。「弁護士」や「弁理士」は独立開業できる専門職だが、国家の存在を前提とすることに変わりはなく、やはり体制の一員である。「師」は資格があるかどうかは関係なく、技を究めて師匠と呼ばれ得るかどうかで決まる。詐欺師や箱師に資格があるわけがない。例外的に「看護師」、「助産師」、「保健師」が「士」ではなく「師」になっているが、これは性差別解消のために改称されたからである。似た例として「保母」の改称がある。「保育者」にする案もあったが、「者」は職業名としてはふさわしくない。最終的に「保育士」に決まって良かった。今は「保育者」は「保護者」に対する語として使われている。「者」の役割としての意味が生きているのだ。

せっかく日本語には豊かな言葉があるのだから、これからもどんどん使い分けていくべきだ。英語の -er で置き換えてしまうのはもったいない。


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